Shoot for the moon.

Even if you miss, you'll land among the stars.

【ここ1年のBeatmaniaIIDX生活を振り返る(後編)】perditus†paradisus、そしてエンディング

かすとるです。

この記事は、『ここ1年のBeatmaniaIIDX生活を振り返る』の後編です。前編も是非見てみてくださいね。

今回のテーマは、








perditus†paradisusハードクリア!!!

というわけで、perditus†paradisus(略してp†p)ハードクリア報告です。


~EXTRA STAGE~ p†pハードしなきゃ終われない!

p†pハードで1つの記事にしようと思った理由は、単純にp†pが自分にとって特別に思い入れのある曲だからです。

時は遡ること10年以上前。弐寺を始める以前、僕は主に太鼓の達人jubeatに夢中だった中高生だったわけですが、弐寺の楽曲の聴き専でもありました。当時の僕には弐寺が難しすぎましたし、金銭的にもやる暇がなかったんですね…。ただ、自分好みの曲が多数収録されているのは知っていて、蔦屋とかでサントラを借りてひたすら聴き込んでいました。その時、特に気に入っていた楽曲がp†pでした。荘厳なパイプオルガンから始まり、ピアノが主体となって紡がれる壮大な旋律。途中の緩急では心が揺さぶられますし、ラストで最高潮に盛り上がってからの切ない結び…。全てが好きでした。「いつかこの曲を演奏できるようになりたい」とよく思ったものです。

そして、大学受験が終わり、心機一転新しく音楽ゲームを始めようと思い、弐寺をさわり始めました。しかし、中伝に受かり、徐々にp†p挑戦権に近づきつつあった頃、流行り病の影響で弐寺を中断せざるを得なくなります。

それからは前編でも書いた通りで、2022年3月に弐寺を再開しました。そこで、特別に思い入れのあるp†pをクリアするのを皆伝以上の目標に掲げました。

実は、再開当時はp†pはイージークリアで十分かなと思ってました。というのも、再開当時は地力Sを押せるようになるまで相当長い時間がかかると思っていたからです。しかし、2022年6月下旬、思いがけない出来事が起こりました。

p†pイージークリア!いや、まさかこんなすぐに達成できるとは思わなかった…。もちろん、最後のRANDOMの当たり外れによってクリアできるか変わってくるのですが、再開して3ヶ月でここまで来れるとは正直思わなかったです。とはいえ当時は滅茶苦茶嬉しくて、正直皆伝は別にもういいかな~とさえ思ってました。

一方で、その後も皆伝に向けて地力上げをしていく中で、同じく地力SのコンフィやS+のFeel the Beat†にもハードランプが点灯しました。こうして徐々にハードS帯と戦えるようになっていく中で、
「もしかしたらp†pもハードできるのでは??」
とも思い始めます。とはいえ、p†pはS帯の中でもかなり難しい方だと思っていましたし、流石に皆伝受かる力が無いと無理なのではと、当時は諦めていました。

ところが、そんなこんなしているうちに、2番目の目標であった皆伝に合格します。

こうなったらもうp†pに挑戦するしかないですよね。ということで、皆伝に受かってから、p†pハードへの挑戦が始まりました。正に、僕にとって最後の裏ボスです。





しかし、いざp†pハードに挑戦し始めると、その壁の高さを改めて痛感させられました。

まず、最初のCNが押せない。自分は特にCNが苦手なので、大抵はCNだけで補正まで叩き落されました。
その後も随所に難所が存在します。縦連地帯もあれば、24分のゴチャゴチャしたプチ発狂も定期的に降ってくる。おまけに終盤のブレイク明けには高速2重階段まで配置されています。最後のサビまで到達することすら叶いませんでした。

やっぱりp†pハードなんて高望みし過ぎなのか…。そう思っていたところ、突然その瞬間がやってきます。





なんか割れてね?

後から調べてみたら、配置は4627351。つまりガチ割れ大当たりです。

これはモノにするしかない!!!

序盤から必死に譜面に食らいつきます。ガチ割れのおかげでかなり押しやすく、縦連地帯でも殆ど取りこぼすことなく、ゲージを100%近くまで回復することができました。それでも、

トリル地帯とその前で一気に50%まで削られます。やっぱり割れてても難しい…(トリル地帯は割れると片手に偏るので尚更難しい)。

それでも頑張ってブレイクまで到達し、80%まで回復しました。そして、問題の地点。

何これぇ?

いや当たってるけどこんなの皆伝受かりたてには押せないです。ここで一気に認識を崩され、30%まで一気に削られます。緊張もピークに。負けたくない!!!

物量で押し負けそうになりますが、何とかゲージを維持しつつ、遂に最後の発狂へ。ここでハマったらすべてが終わりです。

うおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!




………ゲージが残ってる…????




この時は本当に感無量という一言に尽きます。本当に嬉しかったです。ずっと憧れてた曲ですから…。





というわけで、無事に当たり譜面をモノにしてp†pをハードクリアできました。

ちなみに、この時の動画はYouTubeにupしています。よかったら見てね。

youtu.be







こうして、天空クリア、皆伝合格、p†pクリアという弐寺復帰時の目標はすべて達成できました。まさか1年の間に本当にここまで来られるとは思わなかったです。

これからですが、学業が忙しくなるので今までほどガッツリと弐寺をやることは無いと思います。特に全白を目指すモチベーションもないので、未難を減らすことをメインにプレイするつもりは今のところないです。それでも弐寺を完全に辞めることは暫くは無いと思います。だって、好きな曲がたくさん収録されてますし、それを自分で演奏できる最高のゲームですよ?

というわけで、時間が許す限り、これからも弐寺をエンジョイしていきたいと思います。

拙い文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

またいつか。

【ここ1年のBeatmaniaIIDX生活を振り返る(前編)】弐寺を再開してから皆伝に受かるまで

本当にお久しぶりです。かすとるです。最近は大学院で研究に明け暮れつつメトロイドスプラトゥーンチェンソーマンにハマってます。
前回の記事から1年半も経ってしまいました…。いやはや。

今回は、2回に分けて音楽ゲーム"Beatmania IIDX"について書こうと思います。今回が前編です。
テーマは、、、










皆伝合格





というわけで、今回は皆伝合格体験記です。つまり、いつも通り自分語りしていきます。
途中で、いわゆる低速対策についても触れます。もしかしたら参考になるかも?


最初に、自分の弐寺来歴をざっくり振り返っておきます。

2018年3月 :弐寺を始める
2019年10月:中伝合格
2020年3月 :流行り病の影響とかでゲーセン通いをやめる
2020年8月 :BMSをほそぼそと続けていたけどモチベが消える
~~空白の1年~~
2021年9月 :BMSを再開
2021年12月:GENOSIDE 2018 発狂四段合格
2022年3月 :約2年ぶりのゲーセン。様子を見ながらほそぼそと地力上げ。
2023年2月3日:皆伝合格

つまり、中伝まではスムーズに上達したものの、コロナでゲーセンに行けなくなり、(その他色んな理由が積み重なり、)モチベもなくなってうだうだしてたら2年くらい経って、状況が良くなってきてから再開して1年くらいでやっと皆伝受かりましたという感じです(いや受かってから2か月も経って今更記事書いとるんか…)。

振り返ると色んなことがありました。五段に癖がついて六段に飛んだり、十段に酷い癖がついて、やっと十段受かった次のクレで中伝受かったり…。ここではこれくらいにしておきます。



さて、ここからは弐寺を再開した2022年3月以降のお話です。
そもそも自分が弐寺をやり始めたのは、単にコロナの状況が改善しつつあったからというだけではなく、コロナ前に達成しきれなかった目標があったからです。それは、、、

1.天空の夜明け SPA ハードクリア
2.SP皆伝合格
3.perditus†paradisus SPA ハードクリア

この3つです。
1つ目は、単純に曲が好きだから。2つ目は、まあいいですね。
3つ目は、僕が弐寺を始めたきっかけの曲が正にperditus†paradisusだったからです。詳しい話は後編でします。

とにかくこの3つは達成しないといつか後悔するだろうなと思い、ゲーセンに行ける心理的な余裕も出てきたことも相まって、再び自分の弐寺モチベに火がつきました。

とはいえ、再開当時の僕は春から大学院修士1年の大学生です。修士では学部の頃とは異なり、おちおち遊んでいられないのも事実。修士2年は絶対遊ぶ暇がないので、とにかく最小効率で1年以内に達成しなければならない状況でした。

こうして、BMSを触っていたとはいえ2年ぶりに筐体を触るところから始めて、1年以内に皆伝とハード地力S曲を討伐するという過酷な挑戦が始まりました…。

~1ST STAGE~ 天空ハード

1つ目の目標は、比較的すぐに達成できました。再開からおよそ1ヶ月のことでした。

天空ハード!曲がとにかく良いんですよね…。しゅき…。

再開前にBMSをやっていたこともあり、基礎的な鍵盤力はついてました。とはいっても横に広い乱打は筐体でやると疲れるし、序盤の発狂は単にBMSをやるだけではなかなか対処できず…。やっぱり弐寺をやらないと弐寺は上手くならないですね。ちなみに、弐寺を再開してからはBMSの頻度はかなり下がり、皆伝に受かる3ヶ月前にはほぼ引退してます。

これ以降も快進撃は続き、イージーゲージでは地力S帯の曲(黒ペンやコンフィ)あたりに、ハードゲージでは地力A+~S(お菓子の王国、GO OVER、煉獄のエルフェリア)にランプがつき始め、順調に地力が伸びていきました。

皿曲もそこそこ順調に上達していて、6月には灼熱やPlan8にイージーランプが点灯し、段位ゲージで灼熱落ちすることは全く無くなりました。ちなみに自分に合っていた灼熱対策は、
1.textage様のページで譜面を白黒印刷
2.連皿に"押し"で入るか"引き"で入るかをペンで書き込みながら確認
3.曲を聴きながら、書き込み済みの譜面を見て手を動かしてみる
でした。座学大事。

~2ND STAGE~ 冥の低速vs.僕

8月に入ると学会やら実習やらで忙しくなり、9月下旬まで殆どゲーセンに行けませんでした。そこからまたリハビリ。7月以前の地力を上回ったのが11月くらい。その辺りから本格的に冥対策を始めました。

初めはとにかく冥の乱ノックをしてたわけですが…とにかく低速が見えない

低速に入った瞬間ゲージが一瞬で削られていきます。当時は何度もやっていれば低速慣れするだろうと甘く考えていましたが、一向に押せるようにはならず。実際に皆伝受験をしても、BPM100から既にゲージがゴリゴリ削られ、150辺りで閉店するのを繰り返しました。

このままだと乱をかけていても癖がつきそうなので、一度対策を練ることに。

最初に試したことは、"SUDを上げる"ことでした。
自分はいわゆる"ガン下げ"の設定(白数字500以上、緑数字265程度)でした。この設定では低速時にノーツが詰まり過ぎてしまい、認識が難しくなります。そこで、SUDを上げることで低速時のノーツ間隔を広くすればよいのでは、というのが1つ目の対策案でした。

しかし、上記の目的のためには白数字を100以上も下げなければならず、実際にSUDを上げてみると、譜面は見えないわ目は疲れるわ目線も定まらない。何より、辛いばかりで何も楽しくない。別に僕はこんなことをするために弐寺を再開したわけじゃないんだ…、ということでこの案は1週間くらいで没になりました。

その一方、この時期にあることに気が付きます。自分はデフォルトの判定文字を使っていたのですが、低速時を振り返ると、判定文字で2-6鍵が完全に隠れており、そこだけ認識が間に合っていなかったのです。つまり、低速時の目線が判定文字の位置と重なってしまい、判定文字でノーツで隠れてしまうことが、低速ができない真の原因でした。

そこで、判定文字を思い切ってデフォルトからスマートに変更してみたところ、面白いくらい低速が見えるように。思い切って正規皆伝を受験してみた結果…

ブインブインで落ちた…。とはいえ判定文字を変えただけでBPM160-180地帯を通過できるようになったのはかなり大きな進展でした。(ちなみに直後に鏡で受けたら卑弥呼の二重階段で落ちました…)

つまり、判定文字を細くすることで、低速時にノーツが判定文字と被ってもある程度視認可能になる、ということでした。今までなんで気づかなかったんだ…。

ちなみにですが、判定文字が細すぎると今度は目線の固定が難しくなります。目線維持の指標にしやすい程度に存在感があり、かつ十分細い判定文字を選ぶのが良いと思います。色々試してみるのがいいかもですね。自分の場合はAbyssに落ち着きました。

というわけで、SUD/LIFT、緑数字周りだけでなく、判定文字などにも注目して、今一度環境設定が適切か(この場合は低速も対応可能な環境になっているか)を吟味してみるのも大事なのだなと気づかされました。(もちろん、個人差はめっちゃあると思うので、あくまでも個人的な意見です)

ここまでくると、残る課題は、如何にBPM100-140でゲージを維持or回復し、BPM160-180をごまかすかに尽きます。そこで自分がやったのは、

1.緑数字2倍でEDEN(A) RANDOM (BPM100地帯対策)
2.緑数字1.4倍でHarmony and Lovely(A) S-RANDOM (BPM140地帯対策)
3.緑数字1.25倍でquasar(A) S-RANDOM (BPM160地帯対策)

でした。EDENとかハモラブS乱は他の皆伝対策サイトでもよく聞きますよね。

この際に私が意識したことは、目線の位置です。冥の低速地帯は徐々に加速していくので、それに合わせて目線を上げていく必要があります。その際、それぞれのBPM帯でどこに目線を合わせればよいのかを把握することで、目線の移動が楽になるはずです。こういった指標をあらかじめ作っておくと、目線がずれた際の修正がスムーズになります。特に本番では脳内がパニックになるので、自分なりの目安をもっておくことが重要だと個人的に思います。これに加え、S乱は縦連が降ってきやすいので、低速時に意識的に横認識をする練習にもなります。

これらの対策のおかげで、冥の低速は大分掴めてきました。私は元々低速がずっと苦手で、POSESSIONや聖人の塔とかも皿チョンしないと全く押せないくらいでした。しかし、特に判定文字を変えたことで一気に苦手意識が薄れていきました。一度こういった手ごたえを掴めると精神的にも上向きになるので、成功体験はやはり大切だなと思います。実際この時期は一気に皆伝合格へ近づけたというやりがいと高揚感があり、弐寺がいつも以上に楽しかったです。ちょっとした全能感もありました(これは流石に行き過ぎですが)。

~FINAL STAGE~ ついにその瞬間が…

低速のコツが掴かめた頃、既にFeel the Beat†やコンフィにハードランプがついていました。卑弥呼にもイージーランプが点灯。鍵盤力もS帯適正になりつつあり、皆伝フラグが立ち始めました。

そして、来る2023年2月3日、友人と一緒にゲームセンターへ向かいました。
お菓子の王国や黒ペンで高速譜面に慣らし、1クレジット分だけ低速練習。いざ皆伝受験へ。オプションは正規。そして、、、










!!!!!!!!
????????
BPM140までゲージを維持し、補正でブインまで耐える、あまりにも教科書的なゲージ推移でした…。

低速抜けた瞬間、思わず声が出てしまいましたし、BGAで花が色づき始めるのが目に映って思わず嗚咽が漏れ、涙を流してしまいました。それでも、、、







「皆伝」の2文字が出てきたとき、思わず友達と一緒にゲラゲラ笑ってしまいました。嗚咽が笑い声に遷移していくのを感じ、感情が洪水起こすのってこういう感じなんだなと…。ここまでやってきてよかった…。たまにはゲームで泣いたっていい。
そして隣の筐体からは偶然にもFly Aboveが流れ始め、いい感じのエンディングに。
ありがとうBeatmania IIDX

次のクレでは好きな曲を色々やってました。〆は心の名曲、SADAのSTAR FIELDで。

初めての鳥コン!最高の1日でした。




こうして、ボスの冥をようやく撃破し、復帰時の2つ目の目標は達成できました。

残るは裏ボスperditus†paradisusの討伐のみ。その行方は後編で。もうちょっとだけ続くんじゃ

ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけた(もしくは参考になった)のであれば幸いです。


音ゲー関係は@iidxcastorで呟いてます。弐寺やってる方でしたらフォロリクは通すのでよかったら是非。

あの方が10年ぶりに表舞台に帰ってきて興奮した話

お久しぶりです、かすとるです。

とある試験が終わり、少し落ち着いたのでちょっとだけ書きます。

自分がアーケードの音楽ゲームから離れて1年半…。あれだけ好きだったIIDXに関しても新曲すらもはや殆ど把握してないくらい、時の流れに取り残されてしまいましたが、最近嬉しいニュースを偶然耳にしました。

PRASTIK DANCEFLOORさんが10年ぶりに新曲を公開!

きっかけは、休憩中にYouTubeで音楽を聴いていたら、たまたまPRASTIK DANCEFLOOR(以下、PDF)さんの曲がサジェストされたことでした。ふと懐かしくなり、ニコニコ大百科でPDFさんを調べていたら…

2021年に突如twitterを開設、CHUNITHMへの楽曲提供という形で再び表舞台に登場。

dic.nicovideo.jp

マジ??と半信半疑でリンクを踏むと、PDFさんのアカウントが確かに開設されているのです。気づいたのは9/21のことで、アカウント開設から一週間ほど経った時期でした。あまりにもタイムリー過ぎる。というかそれで少し話題になってサジェストされたのかな。

 

PDFさんはいいぞ。

「そもそもPDFさんってどんな人?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。簡単にご紹介させていただきますと、10年ほど前に、IIDXで楽曲提供をされていた方です。提供された楽曲は計6曲で、その中には(名義こそは違いますが)あのLincle Kingdomの一角をなす『聖人の塔』などがあります。ソフランに苦しめられた方もいらっしゃるのでは?

現行のバージョンで遊べるのは、聖人の塔以外ではSessionシリーズの2曲だけで、残り半分は削除されてしまっていますが、名曲揃いです。個人的には"Session 1 -Genesis-"が好きです。哀愁漂う雰囲気から始まったかと思いきや、何かの始まりを彷彿とさせるようなカッコいいメロディーが流れます。とても2分弱の曲とは思えないような様々な展開がなされ、最後には、題名通り「ここから物語が始まるんだ!」という期待感を与えてくれるような旋律で結ばれます。全体を通してどこか切なさがあり、曲名の元ネタである旧約聖書となんとなくイメージも合っています。

Sessionシリーズ以外では、かなりコアな曲を書かれています。"Do Back Burn"は、どこか70年代(合ってるかな?)を思い起こさせるような音が流れます。耳に残る声ネタも大きな特徴ですね。こういった曲は、自分くらいの世代からすると、古いどころかむしろ新鮮で、聴いていて面白いですね。

 

新曲出してくれて嬉しい…嬉しい…

そんなPDFさんの新曲ですが、ご本人様のtwitterから告知があった通り、CHUNITHMに収録されたそうです。その名も"TECHNOPOLIS 2085"。なんだか近未来都市を連想させるような曲名ですね。本人曰く「削除されがち」な曲だそうですが、これは、IIDXに収録されていた"Do Back Burn"や同系統の"Cansei de S NIK"のことを指していそうです。つまり、かなりコアな曲になっているということを、皮肉を交えて言っているのかもしれませんね。

 

そんな"TECHNOPOLIS 2085"、語彙力のカケラもない感想で恥ずかしいですが、"最高"です。何となく好き嫌いの分かれそうな感じがしますが、自分にとってはどストライクでしたね。PDFさんのYouTubeチャンネルで公式音源を聴くことができます。

 

 

youtu.be

 

 

まず開幕から素晴らしいです。いきなりパンチの効いた、常人には思いつかないようなリズムが繰り広げられ、曲の始まりを告げるサイレンのように鳴り響く女性の声。それが徐々にフェードアウトしていくとともに、例のどこか懐かしさを感じさせるようなビートが刻み始めます。

その後も、ゆったりとしつつもスピード感もあるような曲調に合った、声ネタ満載の曲展開がされていきます。PDF節炸裂です。いい意味で古さを感じさせる音を使っているのに、近未来感が演出されているのは流石ですね。夜の未来都市をドライブしているかのような心地になります。

最後は冒頭と同じリズムでクールに締める。HOUSE系(合ってるかな?)にはよくあるような結びです。曲展開は王道なのに、非常に新鮮に感じます。聴くたびに発見があるような一曲だったように思いました。

 

次作は、"Session"シリーズ風な一曲?

10年の空白を経て新曲が発表されたわけですが、どうやらPDFさんの次回作はそう遠くないうちに聴けるかもしれません。というのも、こちらのtweetをご覧ください。

「削除されない感じの曲」というのは、恐らくIIDXに残っている(1曲は削除されましたが)"Session"シリーズのことを指しているのではないかと、私は予想しています。しかし、「削除される/されない」といった表現がなされていることから、少なくともIIDXには、さらにはKONAMI機種には書き下ろされないのかなといった雰囲気がしますね。ですので、恐らく曲名には"Session ~~"は入らないものの、事実上の続編がKONAMI機種の以外に収録されるかもしれないということでしょうね。

IIDXへ曲が書き下ろされる可能性が薄いというのは少し悲しいですが、個人的には、あのPRASTIK DANCEFLOORさんが、10年を経て、しかも同じ名義で音楽ゲーム界に帰ってきたということだけでも、正に奇跡のように思えます。それが何よりも嬉しかったです。さらに、前向きに捉えれば、IIDXをやっていない人でもPDFさんの曲を聴く機会が増えたことになるので、ファンの1人として嬉しいですね。最近ではTAGさんがKONAMIを退社されたりと、寂しいニュースもありましたが、こういった嬉しいニュースも聞けて喜ばしい限りです。

今回の記事は以上となります。音楽の知識はほぼ皆無に等しく、拙い感想しか書けませんが、少しでも自分はPDFさんの曲が好きだということ、何よりもPDFさんの曲の良さが伝わりましたら幸いです。もしも気に入って頂けましたら、twitterなどで呟いて頂けますと嬉しいです。それではまたいつか。

ブログのタイトルを決めました(今更)

 かすとるです。まさかの連日投稿。まあ昨日の内容があまりにもアレだったので…。

 ブログを開設してから早1ヵ月経ちました。1ヵ月という短い時間ですが、世の中の情勢はすっかり変わってしまいましたね。事態が早く収束してくれることを祈るばかりです…。

 さて、その1ヵ月の間保留にし続けていたブログのタイトルですが、ようやく決まりました。開設して以来、面白いタイトルは無いかな~と時折考えていたのですが、なかなか思いつかず、結局自分の好きな座右の銘から引っ張ってくることにしました。なので、似たようなタイトルのブログや記事はググれば無限にあると思います。没個性的~~。

 せっかくなので、今回はこのタイトルの意味と、この座右の銘と出会った経緯について軽く書こうと思います。

 

 

 

 では、まずこの一言について、簡単に見ていきましょう。

 "Shoot for the moon. Even if you miss, you'll land among the stars."

は、Les Brownというアメリカの演説家の残した言葉だそうです。意味はざっとこんな感じ。

 「月を目指せ。仮に無理だったとしても、周りの星には辿り着けるさ。」

 ここで言うところの「月」とは、自分の思い描ける限りの最高の目標に当たります。なので、前半は、「自分の本当の目標に向かって努力しなさい」ということを意味します。しかし、本当の目標に辿り着ける人はごく僅かでしょう。例えば、プロ野球選手になろうと思っても、プロへの道は非常に狭き門です。そう考えると、いくら努力しようと思っても「どうせ無理だし…」と委縮してしまうかもしれません。そこで後半です。仮に月に辿り着けなかったとしても、本当の目標は達成できなかったとしても、周りの星には辿り着ける、何かしら得られるものはある。つまり、その努力は決して無駄にはならないということです。ざっくりとまとめると、

 「大きい夢を描こう!そうすれば良いことはあるさ!」

といった感じでしょうか。

 ここまで来て、こう思った方がもしかしたらいらっしゃるかもしれません。「それって、夢を叶えられなかった時の逃げ道を作ってるだけなんじゃないか?」と。確かに、そう読めるかもしれません。

 しかし、Les Brown氏が伝えようとしているのは、そういったことでは無いと思います。逆に考えてみて下さい。仮に夢が叶わなかったとしても、何かしら良いことがある。だからこそ、大志を抱き、全力で夢を掴み取りにいくつもりで努力するべきだ。この一言は、そういったことを伝えようとしているのだと思います。

 

 

 

 この言葉を知ったきっかけは、自分の好きな歌手のライブに行ったことでした。ナノ、という歌手を皆さんはご存じでしょうか?元々はニコニコ動画で歌い手として活動していて、現在ではアニソンを主に歌っている方です。アメリカで生まれ育ったことから英語も堪能で、本格的なバイリンガル歌手です。中性的で、時に刃物のように切れ味のあるカッコいい歌声はとても魅力的です。この方の歌で、私が初めて聴いたのは『Now or Never』という歌で、昔NHKで放送されていた『ファイ・ブレイン 神のパズル』というアニメの第2期の主題歌です。挫けそうなときに勇気をくれるような曲で、お薦めです。

 

youtu.be

 

 この他にも、『BTOOOM!』や、『蒼き鋼のアルペジオ』、『緋弾のアリアAA』などの主題歌も歌っています。興味があればそちらも是非聴いてみて下さい。公式がYouTubeにあげています。

 中学生の頃に初めてナノさんの曲に出会い、その歌声に惚れ惚れとしていたわけですが、どうやらライブもやっているそうだと知りました。そこで、中高の友人に布教し、ライブへ参戦。僕自身、ライブに行くのは初めてのことでしたので、とても印象に残っています。ライブの音圧は凄いものだなと、その時初めて実感したものです。

 ライブといえば、歌だけではなく、その合間にあるトークも面白いものですよね。歌手の一面が見られ、親近感が湧いてきます。その時、ナノさん自身の座右の銘の話になり、この言葉に出会いました。

 "Shoot fot the moon. Even if you miss, you'll land among the stars."

こんな素晴らしい言葉を座右の銘にしているナノさんも、とても素敵な方だなと思いました。そして、この一言に出会えた奇跡に感謝です。

 

 

 

 ところで、私のブログの上の方を見てみると、ひっそりと星空の写真が写っていると思います。夏の天の川の写真です。隅に写っているのは多分流星じゃないかな。そんな星空の写真に先ほどの言葉を合わせるのはピッタリかな~と思ったんですが、肝心の月が写っていないことに気づきました。なんか統一感が出ないなと感じたんですが、よくよく考えてみると、自分にはまだハッキリとした目標が立っていません。研究職に就きたいと漠然と考えていますが、具体的にどんな研究をしたいのかがハッキリと定まりません。つまり、僕の中にはまだ月はないんじゃないかなと。だから、写真に月が写っていなくてもいいのかな~という感じです。早く見つけたいものですが…。

 なんかパッとしませんが、今回はこの辺で。読んでくださった方ありがとうございました。それではまたいつか。

 

2020年4月15日追記

 ナノさんの公式YouTubeにて、20曲ものMVがフルバージョンで公開されました!もし興味あればいかがでしょう?

www.youtube.com

幼い日に抱いた死の恐怖と克服への一歩

 かすとるです。

 今回は少し重い話をしようと思います。唐突ですが、小学生の頃のある日、私は、突然死の恐怖を感じることになります。誰にでもある経験ではあるかと思いますが、当時の私にはあまりにも理不尽でどうしようもない恐ろしさを感じたものです。初めてその恐怖を感じてから10年ほど経過したわけですが、慣れることはなく、今でも時々その恐怖は襲ってきます。

 人間に関わらず、この世に生を受けたものはいつか必ず死んでしまいます。死とは避けることの出来ない運命です。古くから、人々はその運命に抗おうと努力してきました。その代表的なものとして挙げられるのは、宗教です。宗教学者ではないので詳しいことには触れることは出来ませんが、キリスト教や仏教には、死と密接に関わる教え等が多く見受けられます。それは、人々が死やその恐怖と真剣に向き合ってきた証拠でしょう。

 私は無宗教の人間なので、ここでは宗教っぽいことを話すつもりはありません。しかし、僕は僕なりに死の恐怖を少しでも克服したいと思ってここ10年を過ごしてきました。そこで、今現在、たった21年しか生きていない分際ですが、私なりにその奮闘の軌跡を残してみたいと思います。

 

*このような内容が苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。

*あくまでも個人の意見です。どのように感じるかは人それぞれです。自己責任でお願いします。

 

 

 

 私が初めて死について考えたのは、おそらく小学生の頃だったと思います。幸いにして近い親戚の方はまだ亡くなっていません。では何がきっかけだったかというと、一冊の絵本です。今では読書量はガクッと減ってしまいましたが、当時はよく絵本を読んだものでした。その時、私は次の絵本を手にします。ジャクリーンウィルソン氏の『わたしのねこメイベル』という本です。物語の概要はamazonのページから確認してみて下さい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%AD%E3%81%93%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%AB-%E3%81%8A%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4338170158

 この本のテーマの1つに、死生観があります。古代エジプトの死生観を題材とし、ミイラについて、そして死んだ後には何が待っているのかなどについて考えさせられます。そこで、当時小学生だった僕は、死後について真剣に考えることになります。当時考えたことを、今の僕なりに再構築してみます。

 

 死ぬということは、生命活動が終了すること。それは、今生きている自分が当たり前のようにやっていることが出来なくなることを示唆する。普段、たとえ意識していなくとも、自分は何かを考えたり、感じ取ったりしている。何も考えていないときでさえ、目を通じて空間的な情報や明暗の程度を認知し、肌を通じて周囲の空気を感じ取っている。しかし、自分に死が訪れたらどうだろうか。自分は何かを考えることはできない。視覚や触覚といった五感は失われる。それだけではない。時には喜んだり、時には悲しい思いをしたりといった、感情の喪失。気持ちいい、苦しいといった、精神的な反応の欠如。自分の周りに広がっていたはずの空間、流れていたはずの時間。そんな時空の存在を捉える感覚すら遠くなり、消えていく。すなわち、文字通り、何も感じることができなくなってしまう。どうにかして感覚を取り戻したい。しかし、どうすることも出来ない。「どうすることも出来ない」という感覚さえも失われてしまう。真の「無」が訪れる。それがすなわち、「死ぬ」ということではないか。さらに、私が死んでも、世界は続いていく。宇宙はそこにあり続け、膨張し続ける。私なんて初めから生まれてすらいなかったかのように、ひたすら膨張を続ける。宇宙がこのまま存在するとしても、無くなってしまうとしても、私は永遠に真の「無」のままであり続ける。

 

その絵本を読んだ当時から発展しているとは思いますが、当時の僕はこのようなことを考えたわけです。とにかく、真の「無」が訪れることが恐ろしくてたまりませんでした。読み終わった後はひたすら泣き続け、母親にしがみついたものです。そしてこの温もりもいつかは感じることも思い出すことも出来なくなってしまうのかと…。

その日から、私は物思いに更けていると、時々自分の死について考えることになります。しかし、やがてその瞬間は必ず訪れるのかと思うと、全身が凍り付くような感覚に襲われ、夜中に布団にくるまって大声で叫んだり、シャワーを浴びながら呆然と立ち尽くしたりしてしまうようになります。その時は何とかして別のことを無理やり考えてなんとかやり過ごしたものです(当時好きだったクラスの女の子のことや、ハマっていたゲームのことを考えていた覚えがあります)。が、根本的な解決にはなりません。

そのような断続的に続く恐怖からの克服につながるきっかけが訪れたのは、それから5年以上後、中学3年生の頃です。

 

 

 

 当時の私の周りには、いわゆるオタクの人が多く、いろんなアニメやゲームをお勧めされていました。まだまだ若く、新しいコンテンツに貪欲だった私は、ライトノベルやアニメに夢中になっていました。ちなみに初めて私が出会ったサブカルチャー的な作品は、あらゐけいいち先生の『日常』だったと思います。独特でシュールな展開に夢中になったものですし、完結したときはかなりショックでした。どうでもいいですが、麻衣ちゃん推しです。

 さて、そんな中高生活を送っていた時期に、私は一つの作品と出会います。『リトルバスターズ!』という作品です。当時の僕が入っていた部活の先輩がお薦めしてくれたのが、出会いのきっかけでした。物語の冒頭は次のURL先にある公式サイトからご確認下さい。(わざと原作ゲームではなくアニメ版の方を貼っています。)

http://www.litbus-anime.com/lb/intro/index.html

 ネタバレにならない程度に少しだけ補足しますと、主人公の直枝理樹は、「リトルバスターズ」の活動を通して、ある少女達と出会うことになります。彼女達は、実は一人一人が人生における深刻な「問題」を抱えて生きています。そんな彼女らは、直枝理樹ら「リトルバスターズ」と出会い、仲を深めていくうちに、ある変化が彼女らの中で生じていきます。彼女達の運命はどう変わっていくのか。そして、「リトルバスターズ」が行き着く先はどこなのか。そんな話です(伝わったかな?)。

 そんな物語の中で、私が非常に影響を受けた場面があります。ネタバレは極力したくないので、どの場面か、誰にまつわるシーンかは伏せますが、(Aさんとでもしておきましょう)こんな場面です。

 Aさんは、大切な人を失ってしまったショックから、こう考えていました。生まれてくること自体が苦しいことなのだと。しかし、今までの自分の人生を振り返る中で、たくさんの人と出会い、温かい思い出の数々を作ってきたことを知ります。そして、こう語ります。

 「ああ…そうか…。それは…ぼくが…、失うことより、出会うことの方が大切だと、知ったからだ。失えば悲しい、辛い。でも、それを恐れて、出会わないより、人と出会い、一緒に過ごす時間の方が、大切で、かけがえのないものだってことを知っている。」(Key (2007) 『リトルバスターズ!』 Visual Arts)

 ここで、自分はハッとします。今まで、自分は、自分が死んでしまった時のことばかりを考えていました。死んでしまったら、全てを失う。何も感じ取れなくなる。しかし、自分はその前のこと、つまり、自分が生きている間のことを全く考えていませんでした。確かに、失うことは恐ろしいことです。それは、今までの経験で十分身に染みています。それなら、失うことの悲しみや苦しみなんかを上回るような人生を送りたい。必ずしも、人との出会いでなくてもいい。自分の共感できる物語、出来事でもいい。今の自分の境遇が辛いものでも、それまでに何か温かい思い出があれば、それを大切にしたいし、これから良い出会いや思い出をつくれるようなきっかけを探して努力したい。そうすれば、いつかやってくる自分の死を恐れる気持ちも少しは和らぐし、そうやって生きることで、自らの命を絶とうという衝動にもブレーキをかけたい。将来、身内の方が亡くなってしまった時も、悲しみに飲まれ過ぎず、強く生きていきたい。そして、最期の時がやってきたら、自分の人生に納得できるようになりたい。

 このように考えるようになってから、以前のように、死について考え恐ろしさに飲み込まれてしまうようなことは格段に少なくなりました。逆に、辛いことがあっても、なんとか立ち直ろうという気持ちを自分で持てるようになってきたような気がします。

 また、これは偶然の発見なのですが、この文章を書いているうちにも、死への恐怖感が薄らいでいったような気もします。おそらく、今まで頭の中でぼんやりと浮かんでいた死へのイメージ。それを言葉にしたことで、漠然とした恐怖感とそれに怯える自分を、客観的に見つめ直し、自分の気持ちや考えを整理出来、その恐怖感を冷静に分析することが出来たからではないかと思います。何かに悩み、時に絶望してしま際には、何とか自分の言葉で今の状況を整理してみることは、かなり有効な手段なのではないかと思います。(気になって少し調べてみたところ、「感情のラベリング」と呼ばれるカウンセリング手法だそうで、臨床心理学でも研究がなされているようです。間違っていたらごめんなさい。)

 

 

 

 最後に、今自分が読んでいる本で見かけた面白い一説をご紹介します。

 「人間を近似的に粒子と見なすと、その生涯も、誕生で始まり死で終わる世界線で表される。」(吉田伸夫 (2013) 『明解 量子宇宙論入門』講談社 p12)

 これは、相対性理論の解説中に出てきた一説です。詳しい解説は省略しますが、高校や大学1年生で学ぶような所謂力学は、古典的なもので、空間と時間は別々に切り離して考えていました。相対性理論では、空間と時間は同等のものとして扱います。その際、時間と空間の情報を一つの図にまとめた、時空図というものをしばしば使います。時空図上では、粒子は分岐したり自身と交わったりすることのないただ1つの軌跡を描きます。それが世界線です。

 皆さんは、この一文を読んでどのように思うでしょうか。138億年もの間、拡大を続けてきた宇宙。そんな宇宙の時空図からしたら、高々100年しか生きられない人間の生涯なんて1本の短い線に過ぎない。そう思うかもしれません(そして、大胆な近似が出来てしまう物理学のある意味での恐ろしさも感じられます)。しかし、逆に考えてみることも出来ます。たかが1本の線でしかない自身の生涯には、1本の線ではとても表現することの出来ない、出会いや出来事、思い出が含まれ得る。そんな人生を目指して生きていくのも、アリなんじゃないかと、思います。

 それでは、今回はこの辺で。またいつか。

 

引用元

Key (2007) 『リトルバスターズ!』Visual Arts

吉田伸夫 (2013) 『明解 量子宇宙論入門』講談社

絶対、だいじょうぶだよ

 かすとるです。

 今回は、前回よりも少し昔のことを書きます。前回に引き続き振り返りで、自分語り成分が多くて申し訳ないです。まあ、年度はもう少しで替わりますし、いい機会ではないかなと…。

 さて、1月と2月といえば、私にとっては受験シーズンです。1月にはセンター試験があり、1月中旬から2月末(場合によっては3月)にかけて私立または国公立大学の大学入試が行われます。受験生の方はどうか体調には十分気を付けてください…。今年は例のウイルスのせいで単なる風邪を引くだけでも不安になると思いますので…。

 現在2年生(春からは3年生)なので、大学受験を終えてからもう2年が経つことになるんですね。光陰矢の如しとは正にこのこと。しかし、今でも当時の独特な緊張感は身に染みて覚えています。この季節独特の、ピリピリとした寒さ。コートを突き抜ける冷たい風。葉はすっかり落ち、閑散とした並木。キャンパスを歩くだけでドキドキしてしまいます。諸事情あって2回大学受験を経験した身としては、正直かなり辛い季節で、トラウマに近い感覚がします。電車の中とかSNSで受験生を見かけると辛さや焦りがひしひしと伝わってきます。

 さて、今からおよそ3年前、私は大学受験に失敗しました。行きたい大学は一つしかなかったので、1校しか受けませんでした。その代わり、滑り止めの大学の試験勉強に充てる時間を全て第一志望に費やすことが出来ましたが、それでもダメでした。当時としては自分なりにかなり勉強した方だと思いましたが、今振り返れば勉強不足だったと思います。それは得点開示からも明らかで、苦手だった科目の克服がまるでできていなかったんですよね。特に国語なんて3割も取れていませんでした。

 幸いにして、両親は僕のことを応援してくれ、浪人することができ、予備校にも通わせてくれました。本当に親には感謝しています。こうして、経歴には残らない、「空白」の1年間を送りました。空白の1年ですが、これまでの約20年の中でも一番の、勝負の1年間です。

 

 

 

 

 その1年間、僕は何とも言えない恐怖感と隣り合わせで過ごしました。自分が本当の意味での「マイノリティ」だったことが関係します。

 自分は理系志望でした。理系は一般的には理科科目を2つ選ぶ必要があります。ほとんどの学生は物理化学選択で、次に多いのは化学生物でしょうか。では自分はどのような選択をしたかというと、なんと物理と地学です。

 自分が理科の選択を迫られたとき、物理は好きだったので物理を選ぶことは確定でした。得意でしたし。しかし、化学と地学の両方を勉強していたので、もう1科目を選ぶとなると、当時は非常に悩みました。化学をとるか地学をとるか…。

 化学をとるメリットは多くあります。受験の戦略的な面でいうと、ほぼ全ての理系大学を受けることが出来ることが挙げられます。「そんなの当たり前じゃん!」と思う方がほとんどだと思いますが、後でそうではないことが分かります。学問的な理由としては、化学の基礎的な知識や考え方は、大学に入ってからもある程度必要になることです。というか、大学側は、化学の知識は持っていて当然だと考えています。それなら化学を受験で使うのが当然だと言えるでしょう。

 地学をとると、苦労は多々あります。まず、受けられる大学が殆どありません。地学を使うことが出来るのは国公立にほぼ限られます(ごくわずか私立でも受けられる大学や学科はあります)。そのほかの選択肢としては、理科1科目で受けられる大学くらいです。その時点で、化学受験の際には思いにもよらなかった、「志望校の制約」というものが生じます。また、地学の参考書は少なく、問題集は普通の本屋にはありません。なので、演習は大学の過去問と地学が準備されている模試に限られます。地学で受けられる大学は少なく、地学を開講する高校も殆どないので、仕方ないです。

 こうして見てみると、一般的な方から見ると、地学を選ぶことによるディスアドバンテージは計り知れないでしょう。それでも自分は地学を選びました。それは、地学が大好きだったからです。大学受験となると、その科目と真剣に向かい合うことになります。そのためには、その科目に強い興味関心を抱いていることが必要条件だと僕は思います。でなければ、その科目を勉強するモチベーションは続かないでしょう。さらに、もしもその科目の成績が振るわなかったら…?苦手でしかも興味のない科目の成績を、周りの受験生と戦えるくらいまで上げなければならないのは、苦痛でしかありません。それなら、多少好きな科目で戦った方が、十分勝算があると僕は思いました。

 また、自分は個人的に地学の勉強をしていたのですが(高校では地学は開講されませんでした)、それでも周りの化学受験者とは戦えるくらいの成績は取れていました。それなら地学を選んだ方が良いに決まっている、そう考えました。今思えばかなり危ない橋を渡ったと思いますし、親はよく自分を信用してくれたなと思います。感謝しかありません。結果的には現役では受からなかったわけですが、現役で受けた時の得点を見てみると、地学は足を引っ張っていたわけではなかったので、やはり悪い選択ではなかったと思います。

 しかし、浪人中のプレッシャーは酷いものでした。浪人時は、結局は第一志望以外の大学は1つしか受けませんでした(というか受けられませんでした)。あとはセンター利用でその滑り止めの大学に出願しただけです。「もしセンター試験で失敗していたら、滑り止めは1つしかない…。もしダメだったら…。」お風呂に入りながら物思いに耽っているとき、ふとそう思うと、背中がガクガクと震え、居ても立っても居られないような焦りを感じました。

 

 

 そんな恐怖観念に襲われながら勉強する中、僕の背中を押してくれたのは友人です。幸い、予備校の同じクラスに高校時代からの友人がいました。ちょっとした話が出来る相手が身近にいたのは、とても大きかったと思います。また、浪人中3回ほど会ってくれた、現役で大学に受かった高校同期の存在もありがたかったです。一緒にご飯を食べ、大学での生活の様子を聴いたりバカ話をしたりと、良い息抜きになりました。

 また、自分の志望校に現役で受かった友人の存在も大きかったです。浪人中はほとんど連絡は取りませんでしたが、「いつかアイツと同じキャンパスで勉強したい」と日々思っていました。その思いは僕の背中を後押ししてくれたと思います。

 単に大学に合格する以上の目標を持てたことも、勉強の後押しをしてくれました。志望校でしか出来ないことがあったからです。詳しいことは述べませんでしたが、自分の志望学科はかなり特殊で、その学科をわざわざ置いている大学は殆どありません。なので、その学科に行くためには、第一志望に受かるしかなかったんですよね。受験生時代から、大学に受かった先の目標があったのは大きいと思います。

 

 

 そうして恐怖感と戦う日々を送り続け、いよいよ第一志望の受験当日を迎えます。幸い滑り止めには無事に受かっていたので、少しだけ楽な気持ちで受験することが出来ました。しかし、当日に事件が起こります。平年に比べて易しかった数学でミスが多発しました。手応え的には多くの受験生が解けていそうな問題で、大きな計算間違いをしていたり、制限時間が迫って焦って計算を進めてしまったりしてしまいます。

 比較的得意だった数学での失敗で思わず泣いてしまいました。それでも得意な理科で挽回しようとしましたが、今度は大好きな地学で自分の実力を発揮できませんでした。これは、もう1つの物理が非常に難しく、そこで時間をとられてしまい、地学に充てる時間が予定よりも短くなってしまったことに因ります。さらに、化学が易化したという情報が周りの受験生から飛び込んできます。周りの人が化学で稼ぐ以上の点数を地学でとる作戦だった僕にとっては非常に痛いです。

 こうして、自分の得意な科目で戦略通りに点数を取ることが出来ず、最後の苦手な英語を迎えます。気分は絶望的でしたが、なんとかしなければなりません。そこで、自分は休憩時間中次のような行動をとりました。

 

 まずは、教室を出て、建物周辺を散歩します。外のひんやりとした空気を吸うのは良い息抜きになります。

 次に、持ってきていたウォークマンで、お気に入りの曲を聴きます。坂本真綾さんの『プラチナ』です。これは、アニメ『カードキャプターさくら』のOPテーマです。

 カードキャプターさくらは自分の大好きなアニメで、主人公「木之本さくら」がどんなにくじけそうになりながらも真っ直ぐに立ち向かう姿に勇気をもらっていました。そんな彼女には、いざという時の魔法の言葉があります。

 

  「絶対、だいじょうぶだよ」

 

 実は、1年間浪人生活を送る中で、この一言にはいつも救われていました。「もしも落ちてしまったら…」1年間常に付き纏ってきたこの負の妄想を取り払ってくれたのは、いつもこの一言でした。なんの変哲もない一言のように思えますが、作中のさくらちゃんにとっては「無敵の呪文」です。この一言で、さくらちゃんはどんな局面も乗り越えていきます。

 教室の中、僕は『プラチナ』を聴きながら、その言葉を心の中で何度も呟きます。

 

  「絶対、だいじょうぶだよ」

 

 「あと1科目、これで全てが決まる…。頑張ろう…。」

 

そうして、苦手ながらも最後の英語の試験でなんとか食らいつこうと思えました。僕からすると難問ばかりでしたが、必死に、自分なりに一つ一つの問題に向き合おうとしました。そして、試験終了の合図が大教室に響き渡ります。

 

 

 こうして、僕の第一志望の受験は終わりました。それからは後期試験の勉強をしつつ、合格発表を待つ日々です。友人の合格報告がSNSを通じて届く中、合格を待つ日々もなかなか心臓に悪かったです。

 そして発表当日。最近ではネット上で合否を確かめる方が多いですが、自分はキャンパスまで足を運び、掲示を見に行きました。自分が試験を受けたあのキャンパスで、自分の「空白」の1年間の努力の結果をこの目で確かめたかったからです。そして掲示板に自分の受験番号を見つけた時は、思わず口を覆い、涙してしまいました。自分の努力が報われたと思った瞬間でした。「空白」の1年が終わり、自分にも春がやってきました。

 入学後に届いた得点開示を見てみると、案の定数学と理科の点数は芳しくありませんでした。英語の点数も思ったほど良くありませんでした。驚きだったのは、苦手だった国語の点数が前年の2倍に跳ね上がっていたことです。自分の1年間の勉強は正しかったのだと思えました。そんな僕の勉強を支えてくれた友人や家族には感謝しきれません。

 英語も、最後に勇気を出せなかったら点数はもっと低かったでしょうし、実際英語がもう少し悪ければ自分は不合格でした。あの時、さくらちゃんから勇気を貰えたおかげだと本当に思います。

 最後になりますが、これから大学入試を迎える方は、どうか自分のことを信じてあげてください。自信を持ってください。勇気を振り絞ってください。そして、もしも辛くなったら、この言葉を唱えて自分に言い聞かせてみて下さい。

 

   「絶対、だいじょうぶだよ」

 

皆さんにも暖かい春が訪れますように祈っています。それではまたいつか。

学部生活前半の思い出

 かすとるです。

 私事ですが、先日、2年生として受ける最後の試験が終わりました。レポートその他は特にないので、これで春休みです。来年度からは自分の所属もキャンパスも変わるので、これで学部生活に1つの大きな区切りがついた感じですね。やれやれ…。

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試験最終日の夜。揚げ物ってなんで美味しいんだろうね。(この後腹痛になりながら終電で帰った)

 うちの大学は、初めの2年間は所謂教養課程で、いろんな授業を受けさせられます。文系理系には分かれていますが、理系でも語学や人文科学系の授業で単位をとることが課せられていますし、文系の方でも理科系の講義を受ける必要があります。半強制的ではありますが、こうして色んな分野の授業を受けることになります。それが面白いかどうかは人によりけりですが、僕個人としては割と楽しかったです。

 というわけで、学部生活前半を振り返るには良い時期でもあるので、ここ2年で受けた講義の中でも、特に印象に残ったものについて少し書いてみたいと思います。地学が好きな自分からすると、地球惑星科学とか宇宙科学みたいな講義は、面白いし印象に残るのも当たり前なので、それ以外で面白かった授業に絞ってみます。

※もしかしたら学問的に間違ったことを書いている可能性があるので、何かの参考にしたりはしないでください。間違いを見つけたら指摘していただければ助かります。

それでは1つ目です。

 

 

 

西洋思想史

 西洋思想史という講義題目ですが、教官は学期や年度によって異なり、つまり内容も毎回変わります。当時は1年生の秋でしたが、この時の内容は、プラトン哲学について彼の対話編である『パイドン』と『弁明』を読みつつ学んでいくというものでした。

 プラトン哲学については、高校では倫理の授業で触れると思います。有名なものでいえば、イデア論や魂の配慮でしょうか。授業でそれっぽく説明されますが、あまり実感が湧かないというのが正直なところではないでしょうか。僕は実際そうだったと思います。今思えば、それは彼の著作を真面目に読んでいなかったからではないかと思います。大昔の哲学者の思想は、その著作にしか残されていません。人は、究極的にはその著作からではないと彼の思想は理解できないわけですから。この授業は、そういう哲学書から思想を掴み取る機会を与えてくれました。さらに、プラトン哲学者の第1人者とも言えるような先生に直接話を伺えたというのも、印象に残った点でもあります(ミーハーなので…)。

 この授業にのめり込めた点はもう一つあります。それはプラトンの対話篇が純粋に面白いという点です。哲学書といえばいわゆる論文調のものが多いですよね。私はまだ数冊しか読んだことありませんが、その中の1つ、『方法序説』なんかは正にそうだと思います。「私は如何にしてこの思想に至ったか」について延々と語られるわけです。さらに極端な話、ウィトゲンシュタインの『論考』では条文のように思想が展開され、彼の言語の宇宙が創られていくわけですよね(まだ完走できていないのでエアプですが…)。

 一方、プラトンの対話篇は、一見ただの物語なわけです。特に、『弁明』では、ソクラテスが神に対する不敬の罪で裁判にかけられ、その裁判の様子が語られます。そんなの物語じゃん!?と思うわけですが、ソクラテスとの対話の中に、プラトンの重要な思想が含まれているのです。ここには、重要なことが語られていても深く考えずに先へ進んでしまうという、物語調で読みやすいがための落とし穴があるわけですが、私のような素人からすると、この「読みやすさ」こそが大きい点でした。読んでいても、そこまで大きな苦痛を感じないというのは、専門ではない人間からすると重要だと思います。書店の店頭によく「マンガで学ぶ!」的な本が並んでいますが、感覚は何となくそれに近いです。とっつきやすい。勿論、プラトンが対話篇を書いた理由はそこではないと思いますが、結果的に、僕にとってはありがたかったですね。

 授業では、魂の配慮やイデア論について主に学びました。私にはその詳しい内容を説明する資格はないのでするつもりはありません。ですので少しだけ触れることにします。プラトンが対話篇で伝えようとする「魂の配慮」とはこんな感じだったと思います。人間は肉体と魂が結合することによって生きています。普通の人間は食欲や金に囚われて生きています(それは普段の私たちの生活を振り返れば分かると思います)が、それらは全て、肉体への配慮に当たるでしょう。しかし、肉体はすぐにボロボロになり朽ちていくものです。一方で、魂とは、いわば「私自身」と言えるもので、肉体とは別次元のものです(これはイデア論とも直接結びつきます)。そこで、魂がより善くあるようにしていくためには、この肉体と切り離し、魂がそれ自体としてあれば良いということになります。肉体ではなく、魂に配慮の先を向ける。そして、哲学を行うということは、魂の配慮を行うことになる。

 この話を聞くと、「そんなの無理じゃん!」という感じがしてしまうわけです。特に僕なんかはこの記事の最初で上げたようなもんを食ったり、音ゲーに勤しんだりしているわけですよ。魂への配慮なんか全くしていないわけですよ。それでも、時に人は善くありたいと思うことがあるわけですよね。それはずっと前のプラトンの時代でも同じなんですよね。ずっと昔から、人は物欲に飢えて生きている。そして、生きるのは難しい。だからこそこのような思想が生まれるんですかね。そう思うと、彼の思想は今でも通じるところがあるように感じます。

 イデアについて全然書いてませんし、まだまだ書き足りないですが、文がまとまらないのでとりあえずプラトンについてはこの辺で…。

 では2つ目です。

 

 

解析力学

 ここ2年で、教養と専門で2回解析力学の授業を受けましたが、印象に残ったのは教養の解析力学の方です。初めて解析力学に触れたのが教養の時だったからかもしれませんが…。

 1年の春学期に、所謂古典力学の授業を受けたわけですが、その時の成績が割と良かったからか調子に乗ってたんですよね。その時に秋学期のシラバスに見慣れない「解析力学」の題目を見つけるわけです。「解析って何を解析するんや!」と当時の僕は思ったわけですが、調子に乗ってた僕は、よく分からないけどとりあえず受けてみようかなと。友人の誘いも受けたこともあって、初回の授業を聴きに行ってみました。

 すると教室に入ってきたのは、とてつもなく癖の強い先生だったんですよね。まず、見た目からアインシュタインっぽさが漂ってる。なんか顔色が悪そう。今時では珍しく授業中のスマホは使用禁止。そして、周りを見渡してみると賢そうな男性ばっかり…。魔境に来てしまったかなぁという感じがしてしまいました。

 しかし、授業が始まると、これが面白い。解析力学全くの未修で、ラグランジアンって何?」な状態でしたが、だからか内容がとても新鮮で面白い。そしてそれ以上に、先生の説明があまりにもわかりやすい。初回の授業が終わってからは、週1回のその授業が楽しみで仕方なくなりました。

 ここで、解析力学について少しだけ。解析力学のテーマは保存量だと僕は理解しています。ラグランジアンハミルトニアンを定義し、それらに関して成り立つ方程式(オイラー-ラグランジュ方程式、正準運動方程式)が、原理を元にして数学的に導けます。あとは、ラグランジアンハミルトニアンに個別の物理的な現象を当てはめていけば、先ほどの方程式により、運動が数学的に導くことが出来るようになります。更に、そのラグランジアンハミルトニアンから、保存量が直ちに見つかります。それも数学的に。運動を調べる上で、エネルギーや運動量、角運動量などの保存量は非常に重要なのは、大学受験の物理をやったことがある方は分かると思いますが、それを解析的に解くことが出来てしまいます。

  授業を追うごとに、今まで自分が知っていた古典力学が、次々と再構築されていきます。そして、個別の事象を離れて、物理量はどんどん一般化されていき、変数も増え、多次元の位相空間なども出てきます。それら全てが自分にとって真新しくて、新しい世界が開けたような感動を覚えました。

  そして、解析力学の終盤では、ハミルトン‐ヤコビ方程式というものが出てきます。これを使うと様々な保存量を作ることが出来る(はず)点で、難しい問題を解く際には有用なそうですが、それ以外にもこの方程式には大きな役割があります。それは、量子力学に最も近いといえる方程式だということです。詳しいことはここでは述べませんが、ハミルトン‐ヤコビ方程式を用いることで、あのシュレーディンガー方程式に限りなく近い式が出てきます。しかし、その方程式は線型ではありません。そこで、その非線形になっている部分を無理やり線型な形にします。そうすると、シュレーディンガー方程式に辿り着く。その変形こそが、古典力学から量子力学への飛躍になっている。この話を聴いたときは圧倒されてしまいました。古典力学の限界、そして量子力学の始まり。その瞬間を目撃してしまったのですから。

 こんなわけで、この授業に私は魅せられてしまいました。そしてその飛躍まで導いてくれた先生のファンになってしまいましたね。2年生の春学期が始まると、今度は同じ先生の相対論の授業があったので迷わず履修しました。こちらも楽しかったですよ。大学がつまらないと感じる方もいらっしゃると思いますが、こういうお気に入りの教官が見つかったり、新たな発見が出来るような機会があれば、淡々と単位を回収するだけだった大学生活が少しだけ楽しくなるのではないでしょうか。どうか素敵な出会いがありますように…。

 

 

 

 思わず長々と書いてしまいましたが、とりあえずこの辺で。読んでくださった方、ありがとうございます。それではまたいつか。